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Anne-Sophie Mutter
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Anne-Sophie Mutter
 

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ムターの芸術が音楽界に与えた影響

かつて、繊細な詩人フーゴ・フォン・ホフマンスタールは、不倫がテーマの喜劇の脚本を書いてくれるよう友人の作曲家リヒャルト・シュトラウスに頼まれたとき、そのような平凡なものを著作することを拒みました。リヒャルト・シュトラウスがオペラとして提案したテーマをホフマンスタールは呆れて断り、「神話オペラを作ろうではないか、これこそが最も真正な形だ。」と言いました。そのため、シュトラウスは仕方なく戯曲家ヘルマン・バールに持ち掛け、最終的には対話オペラ「インテルメッツォ」の脚本を自ら作成しました。しかし、シュトラウスは自らの長所と短所をよく知っていたため、早速書き始めた「インテルメッツォ」の第一シーンをバールに送り、次のような手紙を添えました:「どうぞ一度お読みになり、これについてのご意見をなるべく正直に、容赦なく教えてください。人は15歳の年齢で身に付いた職業以外では素人でしかありません。」

要求の厳しいリヒャルト・シュトラウスの言葉が本当ならば、わが国の音楽院は、トップレベルの実力に関しては少なくともヴァイオリン、チェロ、ピアノ部門において過密化の恐れはないでしょう…。何十年も前に、アンネ=ゾフィー・ムターはヴァイオリンの間違った教育の危険について、更に厳しいことを仰いました:12歳の年齢で、肝心なことを学ばないで、そのかわりに悪い癖を身に付けてしまったら「レースはもうお仕舞い」だと、ムターは一語一句そのとおりに言いました。

ところが、アンネ=ゾフィー・ムターはレースを申し分なく進みました。彼女は時が経つほどに、かくも完全無欠な演奏をし、ポジション移動では100分の一ミリの矯正も必要なく、彼女の音は感受性のある人すべての心に感性の喜びを齎しました。我々は突然、ヴァイオリンが楽器の女王であるどころか、天后であるその理由を思い出させられました。且つ又、我々はある事実により、誠に深い感銘を与えられました。その事実とは、軽んじてはならない名人芸のレベルを通り越して卓越したアンネ=ゾフィー・ムターの影響が、文化ペシミズムに陥る誘惑を退けるものであるということです!

ルビンシュタイン、セルキン、アラウ、ケンプ、ホロヴィッツが死去して以来、ピアノ界では少々粗末な時期が訪れ、また歌劇場は満足のできる「トリスタン」、「ジークフリート」または「ローエングリン」を見つけることができなくなり、ましてやカラヤンやベルンシュタインのように例外的レベルの指揮者が見当たらないような時代になり、アンネ=ゾフィー・ムターは-彼女が尊敬するギドン・クレーマーと肩を並べて-演奏法の歴史におけるこのような時代であるにも係わらず、進んで名人的で表情に富んだヴァイオリン演奏の時代を切り開く事に成功しました!これは彼女の完璧な芸術だけではなく、彼女の人柄にも関係しています。自己満足の軽蔑と好奇心に関連するのです!

自らの素敵な音色の豊かさにより、ムターは作曲家にも影響を与えます。ヴォルフガング・リーム、ヴィトルド・ルトスラフスキー、アンリ・ドゥティユー、ソフィア・グバイドゥリーナなど、有名な作曲家をはじめ、多くの作曲家は彼女に貴重な作品を捧げています!

芸術家はこのような影響を持つ「計画」を計ることはできません。それは心立て、魅力、そして人柄の結果です。また、パガニーニのカプリースをリッチ、アッカルドまたはハイフェッツよりも更に速いテンポで弾く野心ではなく、表現の豊かさを得たいという向上心を持つ、非常に若いヴァイオリニストが 増え続けていることも、アンネ=ゾフィー・ムターのオーラと関係しています。彼女はフランク=ペーター・ツィンマーマン、ヴァディム・レピン、マクシム・ヴェンゲロフ、ヒラリー・ハーン、ユリア・フィッシャーなどの時代を切り開くことに力添えを与えました。その上、近頃は若い弦楽四重奏団の文化が開花しています。

先ほど私は、アンネ=ゾフィー・ムターの「人柄」が彼女の広範囲にわたる影響の根源にある一つの要素だと言いました。しかし、「人柄」という概念は、どういう意味でしょう。より詳しく説明させていただきます。クレマンソーはかつて尊大でありながらも明白な言い方で「人柄」のことをこう言いました:「たとえ人柄を持つ人がいるとしても、それは大抵悪い人柄だ」と。しかし、アンネ=ゾフィー・ムターに関しては、そうではありません。彼女の人柄には、もっと必然的なものが含まれています:それは内面からくる向上心です。彼女の道を身近に見守ることのできた人なら必ず感じ取れたはずの、彼女の内面からくる向上心です。それとは逆に、外面的な向上心は多くの場合、ある一種の絶望から生まれるものです。そしてこれはまた、内面的な向上心を犠牲にするのです。

「ムターの幸運」とまで理想化されたムターのキャリアの物語に目を向けてみましょう。私はとても幸運なことに1977年6月27日ザルツブルグにてアンネ=ゾフィー・ムターがカラヤンとベルリン・フィルとの第一リハーサルを行ったとき、その場にいました。内部者の情報からしか知られない、まだ少々ぽっちゃりとしてかわいい13歳の少女はブルージーンズ姿で、少し面白い、古風なヘアースタイルをしていました。カラヤンは彼女を世界に知らせたかったのです。彼女は、その重要性をしっかりと理解していました。しかし、彼女の出番はすぐではなく、カラヤンは昼休みまで複雑な作品「ツァラトゥストラ」をリハーサルしました。続いて、縮小オーケストラと「ジュピター交響曲」に取り掛かっている間、アンネ=ゾフィー・ムターは何時間も待っていました。待ち時間はとても長かったことでしょう。最後に、やっと彼女の出番です。そこでカラヤンは誠に心優しい丁寧さをお見せになりました。ソリストにとって、長い待ち時間は神経を張り詰めるような経験でしたが、カラヤンの洞察力は素晴らしいものでした。ソ長調協奏曲のイントロでオーケストラを中断させ、それほど必要でもなかったと思われる極めて小さなミスについて注意しました。すると突然、ムター嬢の緊張が完全に解れました。このようなリハーサルでも、ミスが起きることも、中断されることもあるのだと、理解したのです。このことで彼女に勇気が出ました。モーツァルトの魔法がすべてを覆いました。どの音も貴重で、一つ残らず内面的な輝きを持っていました。

さて、その後はどうなったでしょう。「内面的な向上心」とは、大成功でスタートした後に、失敗をして自らの限界に突き当たってから、この向上心を持ち続けられるかどうか、対応できるかどうかが試練です。どの経歴、どの芸術家としての道にも必ず起こる失敗があってこそ、精神の「人相」というものが形成していくものです。大成功だったモーツァルト演奏のデビューからカラヤンが彼女に期待した曲を、アンネ=ゾフィー・ムターは自ら語っています。カラヤンは彼女に、1年後にベートーベンのヴァイオリン協奏曲を弾くよう提案したのです。

優秀な15歳の少女は疑いの余地もなく、出来るだけのことをしました。教師アイダ・シュトゥッキおよびカール・フレッシュとともに半年間、有名な協奏曲を練習しました。その後どうなったか、他の人ならば恥ずかしがって話そうとしない失敗ことを、ムターは率直に話してくださいました:「続いて私は約束どおりカラヤンの前でベートーベン協奏曲を弾く為にルツェルンへ旅立ちました。」カラヤンは非常に忙しくなさっていたそうです。「しかし、イントロが終わった時点で」(最初の大きなソロの後だと思いますが)「<家へ帰って、来年また来なさい。>と、言われました。」そして続いて「一年後、もう少し優しい評価をいただくことができ、一週間弱、彼のコンサートやリハーサルの狭間に協奏曲の練習を続けました。」ちなみに、ムターは常にベートーベン協奏曲のフィナーレに短い、驚くほどの名人芸を要すクライスラー・カデンツァを選びました。70秒でしかありませんが、後半から信じられないほどに速い音節が登場します。もちろんカラヤンはまだ若い天才ヴァイオリニストをまるで父親のようにそして活発に誇りに思っていました。私はこの目で見ました:まるで巣立ちをした子供のようなアンネ=ゾフィー・ムターが驚くばかりの東京の観客の前で輝かしく激発するカデンツァを-ムター自身が厳しく表現したように-極度のテンポで「弾きおとした」とき、カラヤンは幸せそうに、そしてまた不思議そうに見つめていたところを。

カラヤンが若いアンネ=ゾフィー・ムターにとって音楽教師および指導者であったように、現代音楽との出会いに際してもう一人の有名な音楽家が彼女に大きな影響を与えました。その音楽家はパウル・ザッハーです。
この素晴らしい、寛大なスイス人指揮者は現代音楽の後援者であり、様々な作品にインスピレーションを与えました。ミュンヘンにて、ジーメンス音楽賞の関係で出会って以来、彼をとても敬服しています。当時ザッハーは、私と同様に第一回ジーメンス音楽賞の審査員を務めていました。彼の意見と提案は非常に重要でした。また、バーゼルにあるザッハーの自宅に招待されたこと、それは全ての点で私の人生の中で最も素敵な経験の一つでした。

パウル・ザッハーがアンネ=ゾフィー・ムターの現代音楽との関係にどれだけ重要な影響を与えたかは、多くの例が物語っています。例えばヴィトルド・ルトスラフスキーはヴァイオリンとオーケストラのダイアログ「チェーン2」をパウル・ザッハーに捧げ、そしてザッハーはルトスラフスキーの指揮で上演されたプレミアのソリストとしてアンネ=ゾフィー・ムターを提案したのです。彼はムターの演奏法に受けた感激のあまり、2年後に自らの5楽章のデュオ「パルティータ」オーケストラ用に編曲し、「アンネ=ゾフィー・ムターのために」と明記しています。アンリ・デュティユーの夜想曲「一つの和音の上で(“Sur le même accord“)」も、同じ様に誕生しました。デュティユーの純正な作曲を、アンネ=ゾフィー・ムターは忌憚なく尊敬しています。作曲家は次のように述べています:「この比較的に短い曲は、ザッハーが約15年前に紹介してくださったアンネ=ゾフィー・ムターに捧げます」と。

敬愛する皆様、年長の音楽評論家として、私は特定の専門化に対して懐疑を持つ傾向があります。現代音楽だけまたは 丸弓でバロック音楽のソロ・ソナタだけしか演奏しないというピアニストやヴァイオリニストのことを聞くと、それは常に自らの意志による限定なのかどうかという疑問があります…。しかし、アンネ=ゾフィー・ムターと現代のヴァイオリン文献の係わりは、そのようなアリバイ的な性質のものでは全くありません。それどころか、ヴィヴァルディからデビュッシーまで、伝統的な作品を弾きこなせる活発で素晴らしい、典型的な演奏家であるアンネ=ゾフィー・ムターは競争を恐れる必要などありません。

私はムターがミュンヘンおよびその他の場所にて大きな喝采を浴びたブラームスのヴァイオリン協奏曲を聞くことができたことを有り難く思い、よく覚えています。その「ライブ」コンサートでの彼女の演奏はデイビッド・オイストラフ、ネイサン・ミルシュタイン、イツァーク・パールマン、そしてその他の音楽界の神々よりもさらに感動的に感じられ、彼女の演奏から伝わってくる精神的な体験は圧倒されるばかりでした。比較できるランクのライブ演奏とは、ハンブルグ1948年まで記憶を遡り、当時29歳のジネット・ヌヴーによる高度にドラマチックなブラームス演奏以外には挙げることができません。このような上演はただ良い演奏会ではなく、とても良い演奏会でもありません。それは日常的な、平凡に美しいものの枠から遥かにかけ離れています。いかにそうであるかは、アンネ=ゾフィー・ムターがミュンヘンでブラームス交響曲を上演したとき、友人のシュテファン・ザットラーが言い表しています。彼曰く、ドイツこの様に素晴らしい、完全無欠な方が出現するとは全く予想外だったと、彼は言いました。恵まれた夜にアンネ=ゾフィー・ムターの芸術はこれほどに情熱、スタイルの安定性、そして自由を併せ持っていました。彼女を見ると、現代音楽の稽古および上演がただ高潔な規定種目でしかないという印象は一時もありません。私の同僚で友人のハラルド・エゲブレヒトは「偉大なヴァイオリニスト」について専門的でよく書けている本を出版しましたが、その中で文字どおり次のように主張しています:「アンネ=ゾフィー・ムターは現代音楽の経験により演奏法の可能性を目覚しいほどに拡張した。彼女は今では灰色っぽく薄い音を出すこともできる上、厳しさや醜さも恥らわない…」

アンネ=ゾフィー・ムターは2007年にソフィア・グバイドゥリーナが作曲した「In tempus präsens」という不思議なタイトルの偉大なヴァイオリン協奏曲の多様性をしっかりと感じ取りました。その様々な音色の表現、不思議なおぼろげさ、そしてアンネ=ゾフィー・ムターの激しいドラマ性はまさに感銘的です。協奏曲のレチタティーボのような最初のソロの表現には絶妙な内気さがあり、しかし同時に圧迫感も感じられました。この音楽は即今で直接的に反響するのではなく、どちらかというと、カーテンの向こう側に考え込んでいる、夢見ている人がいて、その誰かがそこから時々、約束の地エスプレッシーヴォを覗き込んでいるかのような感覚です。

なんという内面的な敏感さでしょう。しかし、作曲および演奏法において最も偉大な部分はまだこれからです:カデンツァの最後の数分間。オーケストラはごうごうたる短・短・長リズムへ高まり、破局のようなコードに対してソロヴァイオリンは一所懸命に激しく闘います。この部分のドラマ性は、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の冒頭楽章の演奏が引き起こした恍惚と比較できます。無限な表現力を持つ偉大な女優でさえ、これらの多様な表現の切り替えをアンネ=ゾフィー・ムターほどに感動的に表すことはできないでしょう。

先ほど私はソフィア・グバイドゥリーナの注目すべき第二協奏曲およびアンネ=ゾフィー・ムターによる演奏について称賛の言葉を述べましたが、しかし同様にここで強調するべきことは他にもあります。彼女はルトスラフスキーの「パルティータ」のラルゴでいかに素晴らしく切ない、流れるような音で洗練された「カンタービレ」を弾いたでしょう。また、いかに奥床しいレガートでドゥティユーの「夜想曲」を心からの、弁えのある弾き方で習得し、ペンデレツキの「メタモルフォーゼン」の効果的な重音奏法やフラジョレット奏法を精神的な超克も含めて、ヴァイオリンで達成する彼女の目覚しい取り組み方も、ここで称賛させていただきたいと思います。

一見、関係ないような比較に思われるかもしれないですが:彼女はヴァイオリン奏者として現代音楽を常に耳ざわりよく、そして熱心に弾きます。かつてミルシュタインはバッハのソロ交響曲およびパルティータを素晴らしく表現豊かに、意味深長に演奏していながらも、それはヴァイオリンの祭典であり、音の恍惚を表していました。彼は畏敬してバッハとサラサーテの結び付きを成立させたのです。その一方、ムターは際どい現代性とヴァイオリンの喜びを自然と結び付けることに成功しました!しかしそれは世界トップクラスのソリストの安定した姿勢というよりは、限りなく常に新しく生み出される繊細さ、取り組み、そして転成の驚くべき多様性です。彼女は私の知る限りでは、不変の、全く同じものの繰り返しを好みません。思ってみれば、クラシック音楽のソナタの楽章でソリストが提示部のリタルダンドを、その繰り返しの再現部で記載されている通りに、全く同じように弾くことは、本当は不条理であるように思われる。各音、そしてそれぞれの繰り返しは、時間がたち、経験が積まれたことを考慮すると、異なる音の表現になるはずではないでしょうか!「愛しています」という言葉でさえ、人間は二度、全く同じ様に言うことはないでしょう。二度目に言うときは、情熱が増しているか、またはほんの少し飽きた感じで、あまり感銘深くない言い方で言うかもしれない。しかし軽はずみに、全く同じ様には言わないでしょう。アンネ=ゾフィー・ムターは変容と、いきいきとした多様性という義務を非常に真剣に受け止めています:「私はその瞬間に身を任せていますが、弓のフレージングが変わらないよう注意を払います。弦楽器の奏者は運指法で新しい色を獲得することができます。再現部ではテーマをいつも異なる運指法で弾いています。それどころか、提示部とはもともと全く違う動作で弾くときもあります。」と、彼女は打ち明けました。

賞辞者として、私は敬服してこの様な詳細を称賛させていただきたいと思います。しかしこれほどの、気が遠くなるほどの集中力にはどれほどの几帳面さと完成度が要求されることでしょう。見た目は無難でも、この名人芸には血のにおいがします。芸術家が自らに対する要求はそれほど大きいものです!この間、アンネ=ゾフィー・ムターとグバイドゥリーナの第二ヴァイオリン協奏曲に関するヤン・シュミット=ガレスの映画が初上演されましたが、その中でムターは、作曲家に彼女の演奏法について評価されることこそが、彼女にとって最も厳しい試験であり、彼女のすること全ての最も厳しい判断だと言っています。

つまり、高く評価されている、成功の真只中にいるときこそ、引退することを考える偉大な音楽家がいることも、理解できます。アンネ=ゾフィー・ムターはすでに10年前に引退することを考えていました:「40代半ばになったら、引退します。」と、当時言いました。そして「その後は指揮者を務めるかもしれません。」と、付け加えました。引退したい、引退しても良いかもしれないという考えは、殆どの別格のキャリアに伴うものだと思われます。但し、そのような考えは絶対的な決断ではなく、むしろ一種の慰めとなり、自由の幻想として、緊張緩和のアリバイとしてあるのです。アンネ=ゾフィー・ムターが45を逆にして54にしてくださるよう、頼んだらいかがでしょう!そしていつか54歳の年齢に達したとき、45を倍にしてください。そうすれば90歳という年齢になります。90歳になれば、もう引退してもよろしいでしょう。

敬愛するアンネ=ゾフィー・ムッターさん、エルンスト・フォン・ジーメンス音楽賞受賞おめでとうございます。この賞は音楽界のあなたに対する敬服の象徴であると同時に、我々があなたの芸術をいかに今後も必要としていることを物語っています。

ありがとうございました!

ヨアヒム・カイザー


アンネ=ゾフィー・ムターの謝辞


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