english chinese deutsch
Anne-Sophie Mutter
スタートサイトマップお問合せ先サイト管理者情報プレス資料
経歴コンサートディスコグラフィーモーツァルト・プロジェクト
 
 
mit Yuri Bashmet

mit Yuri Bashmet bei den Aufnahmen zu Mozarts Sinfonia concertante in London

 

詳細および背景

プロジェクト・ストーリー

ヴァルター・ドブナーとの対話

ソナタに関するインタビュー

eプレイヤー

最初のオーディオタイトル、写真等

ePlayer

モーツァルト・プロジェクトに関するインタビュー

モーツァルト生誕250年記念を際して、2006年に舞台デビュー30周年を迎えたアンネ=ゾフィー・ムターはモーツァルトの主要なヴァイオリン曲の新しいレコーディングを公開します。三重協奏曲はバーデンバーデンにてサー・アンドレ・プレヴィンおよびダニエル・ミュラー=ショットとの共演でライブ録音。協奏曲はロンドンにて、ロンドン交響楽団とともにレコーディング。協奏交響曲の伴奏のヴィオラはユーリ・バシュメトにより演奏されました。ソナタはランバート・オルキスと共にレコーディング。2005年秋、協奏曲がリリースされます。指揮者の指揮ではなく、ムター自身が管弦楽団を指揮しています。マイケル・チャーチとのインタビューで、アンネ=ゾフィー・ムターはモーツァルト、現代性、そして彼女のプロジェクトについて語ります。

モーツァルトの最も古い記憶はなんですか?

アンネ=ゾフィー・ムター: 6歳の頃にクララ・ハスキルの録音を聞きました。昔から、彼女のモーツァルトの弾き方が一番好きでした‐軽いタッチ、デリケートなフレージング、そして自然なフロー‐しかもロマンチックになり過ぎないのです。モーツァルトは父親に宛てた手紙に、美しいだけではなく、深い感情を表現することのできる洗練された音楽家のことを述べています。彼女の響きこそが、モーツァルトが求めていた美しさを表している気がします。

モーツァルトの弾き方が印象に残ったヴァイオリニストはいましたか?

アンネ=ゾフィー・ムター: ええ、アイザック・スターンの録音には幾つか素晴らしいものがありました、そしてアルテュール・グリュミオー。しかし、私が想像するモーツァルトの弾き方をするヴァイオリニストはそれ以来聞いていません。

何がいけないのでしょう?

アンネ=ゾフィー・ムター: 今日では高度な技術が重視されすぎてしまい、優雅さや明瞭さ、そして謙虚さが足りないのです。チャイコフスキーはモーツァルトの音楽をまるで「天使のよう」だと言いました。まったくそのとおりです。モーツァルトの音楽はまるで私たちの魂のレントゲン写真のようです。そこにあるもの、そしてないものを映し出すのです。しかし、若い世代はモーツァルトをあまり真剣に受け止めていません。彼の音楽は簡単だと軽視されます‐人々はより高度な技術を求めているのです。しかし、肝心なのは音符の量ではありません。楽器と楽器の相互関係とアイデアの発達です。そのため、演奏家にとって、例えばベートーベン、またはモーツァルトのソナタの全集を弾くなどして、作曲家の曲を最初から最後までよりよく理解することが、とても重要なのです。この場合の結果、ピアノとヴァイオリンが全く平等であるということが分かります。

そのために、このプロジェクトを?

アンネ=ゾフィー・ムター: 私のモーツァルト・プロジェクトは今ちょうど始まったものではありません。ささやかな始まりでした:9歳の年齢で地方のオーケストラにて、初めてのコンサートでヴァイオリン協奏曲第2番を弾きました。しかし、最初のピークとなったのは、13歳の年齢でヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮で、ザルツブルグにてデビューした時です。あの素晴らしいヴァイオリン協奏曲ソ調長を弾きました。その頃から、モーツァルトは私の人生に大きな影響を与え続けています。現代的な作品を弾いている時でさえ、彼の存在を常に感じ、彼にもっと近づこうと、何度も努力してきました。モーツァルトこそが、私の成長に最も大きな影響を与えた作曲家であり、私のキャリアのどのような時期にも、常に私のことを待っていてくれたような気がします。

あなたはこれらの曲の一部を以前に録音していますね。これらの曲をレコーディングすることは、あなたにとってどうでしたか?

アンネ=ゾフィー・ムター: 20年、30年経つと、たとえモーツァルトの曲でさえ、そろそろ曲を分かってきたような感覚を覚えます。しかし私はいつもその感覚に抵抗してきました。たとえそれが第二ヴァイオリンのほんの一箇所だとしても、以前に見えていなかった意味を見出すこと、新しい発見をすることが楽しいのです。それに、この30年の間、色々な経験をしてきました。それこそ、新しいスタートを切る理由になると思います。T. S. エリオットは、以前に訪れた場所でも、人生の年月を経てからこそ、初めてのように発見できると言いました。また、画家のアーヌルフ・ライナーを思い起こします。彼のすべての絵にはもうひとつの絵が隠されていると、ライナーは言っています。たとえ見る者には第一層の表面の下に隠されている絵がよく見えなくても、そこにあることを知っています。音楽家に関しても似たようなことが言えます。12歳だと、すべてをただ本能的に表現します。しかし、いつもただ本能のままに弾くだけでは、足りないのです‐そうしてしまうと、繰り返しばかりになってしまいます。芸術的な面で成長するためには、本能と、好奇心の強い頭が必要です。

この録音プロジェクトはどのように発展しましたか?

アンネ=ゾフィー・ムター: 6年前に、指揮者なしの公演という企画が持ち出され、初めてそのアイデアが浮かびました。突然、「今度こそはちゃんとしないと!」と感じました。それは、私のモーツァルトの解釈が最終的に正しいと言いたいわけではありません。モーツァルトは、私の助けなど必要ありません‐たとえ私がとっくに忘れ去られても、モーツァルトは永久に生き続けるでしょう。このプロジェクトを始めた理由は、この音楽はとても愛し、恐ろしくも感じ、また涙が出るほど心を動かされ、そして聴き手をも感動させることができるからです。このプロジェクトを通してモーツァルトを賞賛し、その素晴らしい才能に深く敬意を表したいと思います。聴き手に良い意味で驚きを与えることができれば嬉しく思いますが、これらのレコーディングの目的は既存する録音の替わりになることではありません。

事実上、指揮をしているときはどのように感じますか?

アンネ=ゾフィー・ムター: アンネ=ゾフィー・ムター:私は指揮者ではありません。しかし、私は指揮をすることができます‐第一に、それは私の気質に合っているからです。第二に、自分が曲に何を期待しているか、はっきりと理解し、それをオーケストラに説明し、音楽家に刺激を与えられるからです。モーツァルトも、指揮者であるよりも器楽奏者でした。私は謙虚な姿勢で、モーツァルトに近づきたいと、試みています。 そのために、共通の観念に結ばれ、お互い刺激し合うことのできる、拡大された室内楽団と仕事しています。人々が私の観念についていこうと思うために必要な鍵はインスピレーション(刺激)です。それは、自発的な対話を生み出すような、胸を躍らせる創造的なプロセスの一部になることです。リハーサルは重要ですが、夜には曲を全く新しく体験するのに、朝にピアニッシモの拍子29を予告することは、無意味なことです。指揮者がいないと、音楽家たちは速くお互いに反応しなければいけないので、もちろんより自発的になります。

この新しい企画はどのように始まったのですか?

アンネ=ゾフィー・ムター: 最初の進出はカメラータ・ザルツブルグとでした。それから、フィーン・フィルとも試してみればどうかしら?と思いました。ウィーン・フィルの音楽家たちは素晴らしいアイデアを発案してくださったので、作品に関して多くを学ぶことができました。私たちはよく話し合い、始めは私の意見に反対されることもありました。しかし、最後には納得していただけたと思います。交響曲を共にレコーディングしたロンドン交響楽団はヨーロッパで毎年モーツァルトのオペラを上演する数少ないオーケストラの一つです。オーケストラには、シルキーな響きを持つものがあります。しかし、ロンドン交響楽団はまるでポルシェのようです‐ダイナミックで、(この言葉を使うことはあまり好みませんが)若々しくて、すべてをうまく達成します。このオーケストラのモーツァルトは速いです。拍子のことではなく、反応の速さのことです。室内音楽ですが、一時ものんびりしようとは考えないのです。室内音楽は時折ゆったりとし過ぎて、熱意がないように感じられます。自分の為に弾いているのでは、家でお茶を飲みながら弾いているのと変りません‐観客を全く気にしないことになります。これでは緊張感が欠けてしまいます。ロンドン交響楽団と弾くときは、ソリストとしてではなく同輩中の第一人者という意味で、オーケストラの一員として弾いています。

ヴァイオリニストとして、モーツァルトの技術的な難しさはどこにありますか?

アンネ=ゾフィー・ムター: 美しい演奏だけでは足りないのです。フレージングがとても大切です。モーツァルトはよく十六音符を使い、それぞれ2音符レガート・2音符スタッカートという構造で、つまりはっきりと識別できるようになっています。また、スタッカートでは点と線の演奏指示を識別しなくてはなりません。今日では、私の奨励財団の生徒たちがボーイングの難しさに立ち向かっているところを見守っていますが、このテクニックはモーツァルトを弾くにあたって不可欠です。音と音の間の空間に注意しなくてはいけません。十六音符の流が滑らかに弾けていないと、練習曲のように、または優雅でない演奏に聞こえます。モーツァルト演奏の難しさは音と音の間の空間を正しく当てることにあります。また、特にロンドなど、パリの刺激が現れているリズミカルな楽章では、音の洗練も一つの難しい課題です。これもまた難しいですね。モーツァルトを弾くときはどの音符も大切で、注意するべきです。いちかばちかで、オーケストレーションがソリストの演奏を容赦なくさらけ出すからです。オーケストレーションはロマン派の曲のように、信じ難い音符の量で甘いバックグラウンドを提供してくれません。しかしモーツァルトではどの楽器も肝心な時に存在感を発揮しなければなりません、しかも適切なスタイル、フォルム、および拍子でなければなりません。そのためには合奏する一人一人の演奏家に見事な腕前がなくてはなりません。その恐ろしい認識が理由で、もっと早くモーツァルトを再び録音しなかったのかもしれません。この課題はまさに、容易に達成できるものではありません。

いわゆる歴史的に「オーソドックス」な演奏にまつわる討論について、あなたはどのようにお考えですか?

アンネ=ゾフィー・ムター: いわゆる歴史的に「オーソドックス」な演奏とは、不可能なこととして捉えています。私たちの耳はモーツァルトと同時代の人々とは異なる音や聴き方に慣れています、真空の中で生きているわけではありません。時間を戻し、250年前に生きていた人々のようにものを聞くことは無理なのです。美やスタイルの典型も、当時とは異なります。私は腸線を使いません。新式の弦を使用し、支持しています。なぜなら、音量、音色、およびシェーディングの面で楽器により多くの可能性を与えるからです。表現能力はモーツァルトの作曲形式の一部ですから。弓の形は理由あって1755年に改良されました。人々はより幅広い表現能力と融通を追求していたからです。

彼がまだ生きてれば、歴史的演奏実践の代表者ではないとお考えですか?

アンネ=ゾフィー・ムター: 彼は時折、完全に豊かな音よりもヴィブラートのない弾き方のほうを好むでしょう。彼のオーケストラは人数が限られていたので、規模の大きいオーケストラは喜ばれたでしょう。私のオーケストラは8人–8人–6人–4人–1人から構成されます。当時と比較するとかなり規模が大きいのですが、素晴らしい音を期待しています!しかし、必要なときには透明感のある、室内音楽的な音も表せればと思います。例えば、ロンドのメヌエット楽章およびKV 219のアダジオの一部は四重奏で録音しました。あまり少ない人数だと、大きなホールでは弱くて迫力のない印象を与えてしまいます。それこそ、規模の大きいオーケストラが必要な理由の一つです。ピアニッシモを広く響き渡らせることのできる弦楽器演奏家はそれほどいません。ピアニッシモは大抵、一番前の列で絶えてしまいます。ピアニッシモは広く響き渡るべきです、内面の光を発し、灰色のネズミのように聞こえてはいけないのです。

拍子の選択はいかに重要ですか?

アンネ=ゾフィー・ムター: 全く決定的です。但し、正しくない拍子はあっても、絶対的に正しい拍子というものはありません。拍子というものは楽章と楽章の関係によって決まります、それが共通点です。出だしにアレグロを弾けば、これに対してアンダンテおよびプレストがどのような関係にあるかを、知っていなければなりません。アレグロの実際の速さはホールの広さや、音響に影響されます。また、ソナタの場合はピアノの仕掛け、そして繰り返し能力に掛かっています。後期のモーツァルト・ソナタの速い楽章には、素早い音の繰り返しが必要な箇所がありますが、現代の新しい楽器よりも当時の楽器のほうがこのような演奏に適していただけではなく、響きが随分少なかったのです。モーツァルトの音楽のこのような要素を、私たちは新しく解釈しなければなりません。つまり、響きが薄く、殆ど聞こえなくなっていたため、アダジオの楽章も速めの拍子で弾かれていたということです。現代のピアノと大きなホールでは楽器を完全に呼吸させ、音を最後まで響かせないと、音と音が重なってしまいます。終楽章に関しても似たようなことが言えます:モーツァルトの時代の楽器では可能だったテンポの速さは現代の楽器では弾けません。繰り返しが遅くなり、音の響きが伸びるからです。これにより、音楽がより広い空間を要します。ランバート・オルキスは殆どのソナタをペダルなしで弾き、可能な限りにドライで透明感のある音を出すよう心がけています。私たちはモーツァルトの時代の音色にできる限り近づくでしょう。こういった様々な考察があるからこそ、変更不能な拍子などありえないのです。

全ての協奏曲は初期の作品ですが、あなたはどのように評価しますか?

アンネ=ゾフィー・ムター: モーツァルトは全ての協奏曲を自ら演奏し、素晴らしい成功を収めました。特に、いまだイタリア派のヴィルトゥオーゾ音楽の影響が強かった第一協奏曲では、ヴァイオリンが曲芸をしている間、オーケストラが謙虚にバックグラウンドに残ります。第二協奏曲、そしてそれに続くロンドもはるかに優雅で、フランス音楽の影響を感じさせます。しかし、協奏曲の最初の2作は最後の3作に比べると、どの面においても伝統的です。理由あって、アルフレド・アインシュタインはKV 216のアダジオを「天から舞い降りてきたかのよう」だと言いました‐減衰された弦楽器の音は新しい発見で、楽章を不思議な光で覆います。そしてロンドは以前の作品よりもはるかに大胆です。しかし、最初の2協奏曲ではバックグラウンドにいたオーケストラが、この時からヴァイオリンとオーケストラが平等に合奏するようになったことが重要です。モーツァルトはヴァイオリン協奏曲の理想的なあり方を思いついたのです。

多くのヴァイオリニストはKV 218の出だしを恐れています。あなたも同感ですか?

アンネ=ゾフィー・ムター: とても難しく思われていますが、私はそう感じたことがありません。高いミ線の小さなファンファーレがありますが、同僚にはこの高さで弾くことを嫌がる人もいますね。魔笛のコロラトゥーラ・アリアと比較できます:高い音を当てるか、外すかです。外れたら誰もがすぐに分かります。しかしKV 218 は他の意味でとても興味深い作品です。全合奏にはシンフォニックドラマの影響が見られ、以前よりもはるかに精巧で複雑です。アンダンテの出だしは美しく歌うようなオーボエで始まり、ロンドではリズム転換やムードの変化が新鮮です。

最高のクライマックスはKV 219です。ここでモーツァルトは数多くのアイデアを用いて実験しています。唐突なムード変化たっぷりの最も大胆で複雑な協奏曲です。最初のソロの出番は珍しくもアレグロのメインテーマで始まるのではなく、とても美しい、音楽的に新しいアイデアが繰り広げられるアダージョの序曲で始まります。叙情的な第2楽章の後には長いアダジオが続き、フィナーレには魅力的なメヌエットで締めくくられます。しかし、これは激烈で悪魔的な「アラ・トゥルカ」のエピソードに中断されます。その気質はトルコ風というより、ハンガリー風に近いですが、モーツァルトの時代のオーストリア人は「アラ・トゥルカ」という表現を一般的に東方からくる音楽的なイディオムに使っていました。

協奏交響曲についてはどのようにお考えですか?

アンネ=ゾフィー・ムター: モーツァルトはこの作品を1779年、ザルツブルグへ戻った後に作曲しています。パリおよびマンハイムで流行していたこのジャンルに精通するようになりました。そのタイトルには、平等なパートナーとして演奏する2人のソリストのための交響曲であるという意味が含まれています。協奏交響曲は明らかに、当時ザルツブルグの素晴らしい音楽家たちを対象に書かれたものです。暗い雰囲気で劇的で、対照的なムードを持ち、ソロと全合奏のバランスが緻密に考慮されている作品です。さらに興味深いところは、ヴィオラのセクションの分割です。ド短調のアンダンテは、音楽史上最も感動的なアンダンテ楽章の一つではないでしょうか。この曲には過剰といえるほどにアイデアが詰まっています。モーツァルトが当時生み出した新しい音楽表現の典型的な例です。

協奏交響曲のパートナーはユーリ・バシュメトですね…

アンネ=ゾフィー・ムター: 彼は最大のヴィオラ名人だと思います。30年前からこの楽器のレパートリーを広げようと努力しています。そのお陰で将来のヴィオラリストは彼が発見した数多くの作品を弾くことができるでしょう。私は彼の驚くべき情動性が好きです。モーツァルトの演奏家には珍しいことかも知れませんが、この情動性こそが時々、私が思いつくことのないようなアイデアを生み出すのです。アプローチの仕方が似ていても、全く違うアイデアを持っている音楽家と仕事をするのが好きです、まるで陰陽のように一つになれるからです

あなたのカデンツァは誰によるものですか?

アンネ=ゾフィー・ムター: 様々な素晴らしいヴァイオリニストによるものですが、私自身も幾つかの小さなカデンツァをまとめました。私のものを少々、そしてX氏のものを少々。残念ながらモーツァルトは自らのカデンツァをピアノ協奏曲のように書き残していません。

良いカデンツァとはどういうものですか?

アンネ=ゾフィー・ムター: アンネ=ゾフィー・ムター: テーマの一部を用いるにも関わらず、即興のように聞こえるものです。私を含めて現代のソリストは即興演奏家ではないので、残念なことに書き記したカデンツァを必要とします。カデンツァは作品のスタイルの枠組みを守るべきです。締めくくりのような、エピソードのようであり、その上「あ、もう一つアイデアが浮かんだ!」というような、ひらめきのようなものがあるべきです。

サー・アンドレ・プレヴィンとダニエル・ミュラー=ショットとの三重協奏曲はどのような基準のもとで選択しましたか?

アンネ=ゾフィー・ムター: 正直に言いますと、ヴァイオリンがリードする曲を選びました!とても素晴らしい曲で、その伝統的な二重構造はハイドンの初期の三重協奏曲の影響を示しています。それは、ヴァオリンとチェロの音部がピアニストの右手、または左手の音部に反映され、合奏者が平等なパートナーになることを意味します。モーツァルトはこの曲を文字通り快楽のために作曲しました。ピアノのための三重協奏曲のうち、モーツァルト自身がよく弾いていた曲もあります。

モーツァルトの作曲と生活状況の関連性は強いとお考えですか?

アンネ=ゾフィー・ムター: 今の時代、私たちは作曲家の私生活に夢中になりがちですが、私たちにとって音楽が決定的であって、それ以外のものはプライベートなのです。しかし、確かにモーツァルトの人生との関連性が現れているソナタもあります。例えばKV 304は母親の死を反響していますが、モーツァルトはその同じ時期に外向的な「パリ交響曲」、そして同じ作曲群の外交的なレ長調のソナタを作曲したことを忘れてはなりません。しかし重要なのは、ヴァイオリンのための作品が成立した時期に作曲したその他の作品です。非常に大胆なソナタKV 526を作曲していたとき、モーツァルトは既にドン・ジョヴァンニ、そして「ジュピター交響曲」に取り掛かっていました。

このプロジェクトには新しい写真家を依頼しているそうですね。

アンネ=ゾフィー・ムター:アンネ=ゾフィー・ムター: 以前から、私の音楽に対する感情を写し出すことのできる写真的な表現方法を探していました。今までとても優れた写真家たちを依頼してきましたが、このプロジェクトには、特にその音楽がとても複雑であるからこそ、新しい表現方法が必要だったのです。ティナ・タヒアは、私の想像しているものを写し出すために適したヴィジュアルな表現能力と詩的な力を持っているような気がします。

8/2005

 

© 2005年 / サイト管理者情報 / お問合わせ先 / 出版物 / 仲間たち

経歴 / コンサート / ディスコグラフィー / モーツァルト・プロジェクト

スタートスタート 上へ戻る 戻る上へ